市祭りの翌日
日時2月10日 午前0時~
拝殿正面に木造「聖観音立像」一躯が安置されます。
この仏像、大野郡の篠座神社より当社へ遷したと伝えております。
崇敬者は、当日(午前0時~7時)の時刻に参詣して、無病息災・家内安全・諸願成就を祈願します。
参詣者には桃をかたどった縁起物の押紋菓子が授与されます。
岡太神社は明治の大火で拝殿、宝物殿、古文書もろともすべて焼失、しかし奇跡的にこの仏像は持ち出され難を逃れたが、その後、この仏像は納める厨子もなく裸のまま保存されていましたが、虫食いや金箔が剥がれ、漆の痛みなどが目立ちはじめました。
これを見かねた崇敬者が厨子を修復寄付されて昔の輝きを取り戻し、再び多くの参詣者でにぎわいを取り戻しつつあります。
宮司の説明を聞く崇敬者。
寄付で蘇った逗子
参詣者には桃の押し菓子(神饌)を家族の人数分渡されるが、菓子は自宅の神棚に上げておくもよし、下げて家族で食するもよし。
徳日参りの始まりは不詳だが、岡太神社がかって神仏習合の歴史を辿った名残りか、年一日だけ拝殿奥に安置されていた観世音菩薩の仏像が拝殿内に移動され願いを祈願する神事が今も続けられています。
参拝者は家族人数分の桃の形をした干菓子を頂いて帰途に就く。この時に後ろを振り帰ると、せっかくもらった徳が逃げると昔から言われています。
木造の観音様は平安後期の作とされ、立派な厨子に納められた像は、柔らかな曲線の造りに特色があり美しい。ふっくらとして穏やかな表情で人々を迎え、心の中の願いを観じて救いの手を差し伸べる観音様です。
岡太神社は継体大王が創建したといわれています。澄大師が養老2(718)年正月7日から12日までこの地を訪れて、この社に仏像2体を勧請し、日本古来の神と仏は同一とする神仏同体の行を修めたとされる。
その時から岡太神社は白山三社大権現神社と社名を変えた。
今の観音像はその当時の仏像とも伝わるが、また大野市の式内社篠座神社より運ばれてきたとも伝わる。